こんにちは、翔馬(@shouma911)です。
皆さんは下記の言葉をご存知でしょうか???
『明日の事を思い悩むなかれ。明日のことは明日自らが考える』。
と言う言葉です。
これは聖書に出て来る「イエスキリスト」のお言葉です。
私はクリスチャンではありませんし、特定の宗教にも入信しておりませんが、たまたま読んだ本でこの言葉を知りました。
明日の事を思い悩むなかれ。今日1日の枠で生きる。
先述した様に、「イエス」は『明日の事を思い悩むなかれ。明日のことは明日自らが考える』。
と言っています。
これはとても良い言葉ですが、ある種の教訓みたいな意味合いが有りそうですね。
同時に「イエス」は過ぎ去った過去も『思い悩むなかれ』とも言っていた様に記憶しています。
これは一体どういう事なのか???
辛かった昨日…
辛かった過去に思いを馳せても仕方の無い事。
過去はどうやっても変えられないのでしょうから。
そして、明日の事、未来の事を思い悩むのも不要だと言っています。
私たちは、すべての人々は『今日1日の枠』で生きるのが最も良い選択だと思っています。
辛かった過去…
不安な未来…
それらを締め出し、『今日1日の枠』の中で生きる事が一番重要だという事ですね。
私の手取りの給与は、毎回記載していますが、手取りで月額13万円ほどです。
そして抱えた借金が300万円と言う、もう立ち直れない場所に来ています。
ですが、何故、変えられない過去に思いを馳せるのでしょうか?
変えられない過去ならば、忘れてしまうのが一番良いのかと思います。
とは言え、やはり300万円と言う借金は忘れようにも忘れられる訳がない。
そして、未来…。
まだ見ぬ未来をも締め出してしまえば、私も貴方ももう心配する事はないのかと思っています。
確かに私の借金は300万円で、普通ならば返済出来ない。
なので、迷った末、弁護士と相談をし、『自己破産』の道を選びました。
ですから、今はもう悩みは有りません。
過ぎ去った過去を。
そして、まだ見ぬ未来をいくら考えても仕方が無いと思っています。
今日の苦しみに加え、辛かった過去を。
まだ見ぬ未来を考えるよりも、はるかに建設的ですよね。
ですから、先ずは『今日1日の枠』で生きる事を覚えておきましょう。
未来の事を考えないでどう生きたら良いのか?
とは言え、明日の事、未来の事も考えなければならない事も事実。
私の場合は、借金が返せない事が確定した時に、迷わず弁護士に相談し、自己破産と言う選択をしましたが、そうでない場合、やはり明日の事を考えるのも必要ですよね。
今月の借金の返済とか、家賃に光熱費などなど考える事はたくさん有ります。
ただ、そこで思い悩んではいけないのかと思います。
確かに気に掛ける必要は有りますが、思い悩んではいけないのです。
まあ、あんたは自己破産を選んだから良いけど、自分は理由が有って自己破産出来ないんだ!?
っていう方も多いかと思いますが、自己破産でなくとも、債務整理は出来ます。
それで結果的に家を失ったり、車を失ったりするのは仕方の無い事だと思います。
資産は守りたいけど債務整理はしたくないと言うのはちょっと虫が良すぎだと思うのは私だけでしょうか?
その財産や資産は本当に必要なのか?
債務の整理をするとなると、やはり財産や資産を整理する必要が出て来ます。
私も財産というか資産というか、そういう物が一つだけ有ります。
ただ、それを守るすべは無いのです。
当初はその事で思い悩んでいましたが、数週間、いや数日間、突き詰めて考えてみたら、それすらも借金がゼロになるのならば処分されても仕方がないと思うようになりました。
何せ、借金の総額は300万円。
それらを帳消しにする代わりにその資産を無くすとしても致し方のないところだと思う様になりました。
その資産は私が高校生の時にバカ高いローンで購入したギターです。
俗にいうビンテージギターの分類に入るのかと思いますが、今手放すと、もう2度と購入は出来ないでしょう。
購入してから40年でしたので、ビンテージと言っても過言ではない代物です。
ただ、そのギターを取って、借金を、毎月払えない額の借金を背負うよりも、いっその事、そのギターを処分して未来に繋げた方が人生としては良いと思って手放すことにしました。
私の場合は300万円の任意整理。
つまりは自己破産なのですが、人によっては数千万、数億円という金額での自己破産をする方も多いかと思います。
そういう方々の場合、資産は思い入れの有る車であったり、家であったりするかと思いますが、よく考えてみたら、先ずは借金を帳消しにし、再度手に入れる事も可能といえば可能でしょう。
もし、それらの資産を無くしたとしても、毎月の膨大な借金の返済に追われるよりは、結果的には良いのかと思っています。
その際はとても苦しむ事になるかも知れませんが、結果的に考えると、その方がまだ建設的でリスタートするには良いのかと思われます。
再度、『今日1日の枠で生きる』
先述した様に、イエスの言う様に、『今日1日の枠で生きる』という考え方をすれば、どんなに辛くても何とかなるのかと思います。
どんなに辛い事でも、その日、1日だけで有れば我慢は出来る。
どんなに苦しい事でも、その日1日だけで有れば我慢は出来る。
人生ってその繰り返しだと思うのです。
確かに今、所有している資産や財産は無くなるのかも知れませんが、それと引き換えに、安定した生活に戻れるのならば、それもやむを得ないでしょう。
昨日食べたパンが古かったからと言って文句を言わず、今日のパンだけを食べられる幸せを掴めば、もうその先は心配する事は有りません。
また次回お話ししますが、人生に必要なのは、ちょっとした諦めなのかも知れませんね。
人間、諦める事から再起する事もありますから。
とにかく、昨日の辛かった事…。
明日、辛いと思われる事…。
それらを全て頭の中から締め出して、『今日1日の枠』で生きるという事をよく考えてみて頂ければと思います。
きっと、良い方向に向かう事ができると思いますよ。